8月号のTOPICSでは、「テロとの戦い」として始まった2003年のイラク戦争時、米軍兵士と爆破で亡くなったイラク市民の写真を掲載しています。
先月、7月1日、安倍政権が集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定をしました。今後自衛隊が他国の戦闘にに加わり、日本が戦場での加害者になるということもあり得る。それはけして許してはならないことです。
長年現場を取材してきた編集長 広河驤黷フ8月号の編集後記を以下に掲載します。長文ですがお読みください。
1967年、私は大学を卒業してすぐにイスラエルに行き、2週間後には第3次中東戦争が始まったが、たった10キロ先に戦場があったのに、私は死者には出会わなかった。1982年9月、私はレバノンのベカー高原のパレスチナ病院にいた。その時周囲に何十発もの爆弾が落ちた。現場に急行する救急車に乗った。空いた巨大な穴を見下ろしていると、救急車の運転手の金切り声が聞こえた。「来るぞ! 飛び乗れ!」。第2波の爆撃の中、病院に逃げ帰ってしばらくすると、人間のどの部分かわからない2切れの体が運び込まれた。自分がその時何を感じたのか記憶がないが、1回シャッターを切った。これが私の死者の撮影の最初の体験だった。死体はブリキ缶に詰め込まれた。次に頭が半分吹き飛ばされた男の人の死体が運び込まれた。かろうじてファインダーを覗いてシャッターを切った。病院が次のターゲットになるといううわさが流れた。この病院には2人の外国人医師がいて、夜遅くまで、話しこんだ。なぜ自分はここに来たのかという話だった。明日には私たちの体が、数百に吹き飛んで死体になるかもしれないというのに、不思議に静かな気持ちだった。
その夜、どこに爆弾が落ちても何台かは助かるように、救急車はエンジンをかけたまま一台一台離れて配置され、運転手は車の中で待機した。しかし翌朝は濃い霧が立ち込めた。イスラエル軍は「戦果」を確認できない爆撃はしない。私は命を長らえたらしかった。
その後、私はベイルートに向かった。その日大統領が爆殺され、その次の日にはイスラエル軍のベイルート侵攻が開始された。その数日後、私は難民キャンプで何十もの死体にシャッターを切ることになる。処刑された人々は戦争の犠牲者と言えるのか?と、私はからからに乾いた唇をなめながら自問した。
戦場カメラマンとかウォー・フォトグラファーという言葉に嫌悪感を感じるようになったのはこのころからだった。
現代の戦争は、圧倒的な力を誇る攻撃する側と、市民の犠牲者に分けられる。そして戦場は私にとって、腐る体であり、焼けただれる匂いであり、体がぐちゃぐちゃに砕ける姿であり、切断された顔、壁に付着する子どもの髪の毛だった。兵士の死体はめったに出会わない。戦争と呼ばれるものの犠牲者ほとんど市民だった。
だから私は自衛隊に死者が出るからと言う理由で、集団的自衛権に反対するのではない。臆病な兵士は優秀な兵士である。動くものを見ると、確かめもしないですぐに引き金を引く兵士である。それ自衛隊が10人死ぬ現場では、自衛隊によって100人が殺されるだろう。そのうちの5人は敵の兵士であり、5人は友軍に殺される兵士であり、90人は市民なのだ。集団的自衛権は、確実に日本を殺戮者の国にする。その戦争は、メディアには絶対に流れない、惨憺たる死体が散乱する現場なのだ。
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