2014年02月27日

【3年目のチェルノブイリ〜食べ物に何が起きていたか】DAYS JAPAN 3月号

1986年4月26日、現在のウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所で4号炉が爆発。史上最悪と言われた大事故による実際の被害が明らかになっていったのは、ずいぶん時間が経ってからのことでした。

3年目チェルノ39-38.jpg

『チェルノブイリ原発事故から3年目の1989年3月、
本誌編集長広河隆一はチェルノブイリ被災地の村々を訪れた。
汚染の実態が極秘事項になっていた当時、
西側ジャーナリストとして世界で初めての取材だった。
訪れた村々で、人々の間には、健康と食品への不安が蔓延していた。
福島原発事故から3年。あのときチェルノブイリで見た光景を、
福島でも見ることになるのだろうか』
リード文

今月号の特集【3年目の福島】の前に、この記事を読むと、いま現在、自分たちが何か物語の中にいるような気がします。読み手は主人公たちがこれから大変な目に会うことを知っているのに、50P目にいる登場人物たちはまだそのことを全く知らず、100P目に至って初めて苦難に立ち向かう。

『チェルノブイリの汚染が30キロ圏にとどまらず広範囲に広がっていることは、
旧ソ連では極秘事項になっていた。私がはじめて被災地取材をおこなったのは、
事故から3年後、89年3月のことである。

このとき世界中のジャーナリストがモスクワに集まり、
汚染地に入る許可を得ようとしていた。私は直接ウクライナのキエフに行き、
そこで原発周辺30キロ圏の取材をおこなった。

その後、毎日KGB(ソ連国家保安委員会)当局に日参し、
ようやく圏外の汚染地域への立ち入りを許可された。
私が入った後、汚染地の村々は再びメディアから封鎖されたと聞いている』
【3年目のチェルノブイリ〜食べ物に何が起きていたか】
本文より

このとき現地に入った広河が持っていた放射能測定器の値は、
原発から60キロ離れたナロジチ地区フリスチノフカ村で毎時2マイクロシーベルト。
これは実に、原発から約4キロのプリピャチ市で測った数値とほぼ同じ。
それを覗き込む現地の人々は恐れ、広河に「ここにいたらどうなるのか?」と。

また原発から60キロ北にあるホイニキ中央病院のコルツォフ副院長の衝撃的な話、
日本では首相にあたるウクライナの閣僚会議長ワレンチーナ・シェフチェンコ氏の、
女性であるが故の英断など、当時広河が目の当たりにしてきた事実が克明に描かれています。

原発事故から3年目。
これから私たちは、どんな現実を生きるのでしょうか?
1989年のチェルノブイリが、今起きている出来事のように、
目の前に浮かび上がってきます。

ぜひ、お読み下さい。
どうぞよろしくお願い致します。

営業部
佐藤典子




posted by デイズジャパン at 12:17| Comment(0) | 営業部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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