「僕にとって12月はつらい。次の日曜でジェンが亡くなって2年になるんだ。
頭の中にいろんなことが巡って、彼女のことが恋しい」
12月20日、私が妻ジェニファーの写真が掲載された2014年1月号の発売を知らせるメールを送ると、アンジェロからこんな返事が返ってきました。12月22日はジェニファーの命日です。
乳がんになった新妻ジェニファーの闘病生活を撮影したアンジェロの写真を、私が初めて見たのは数か月前でした。その時はあまりに辛すぎて、この写真をいつか誌面で紹介したいという想いはあったものの、行動に移すまでの踏ん切りはつきませんでした。しかしある日ふと、「これは世に出さなければいけない」と思い、意を決してアンジェロにメールを送りました。11月14日のことでした。


アンジェロからはすぐに、ジェニファーのストーリーを日本で共有してもらえることがうれしいという返事がきました。「これで一歩前進だ」。そう思った時に、私の携帯電話が鳴りました。それは、祖母の危篤を知らせる母からの電話でした。
DAYS編集部から祖母が入院している病院に駆けつけた時には、祖母は目を見開いたまま意識が遠い状態で、私の呼びかけにも答えず、ただ握った手にわずかに力を込めるだけでした。そしてそのまま一言も言葉を発することなく、その夜、息を引き取りました。
ジェニファーは最期、「その日の最高の出来事」を問うアンジェロに「すべてが愛おしく思えたわ」と答えました。その言葉はいま、彼女の墓石に刻まれています。私の祖母はあの日、最期に何を思っていたのでしょうか。
そもそもアンジェロが撮った写真に私が興味を持ったのは、同じことをしている人がここにもいるんだ、と気づいたからです。乳がんではありませんでしたが、私の祖母もある病気を患い、5年の闘病生活を送っていました。看護を続ける母や祖父の姿を見てきた私は、ジェニファーの病気だけでなく、ジェニファーを献身的に支えるアンジェロ自身にひかれたのです。
『僕らは誰にも答えを求められなかった。ただ、そこにいてくれる家族と友人たちが必要だった。「愛してるよ」と一言メールで送ってくれたり、僕らが一日中病院で過ごした後、夕食に連れ出してくれたりするだけでも、ものすごく救われた。』(1月号本文より)
病気になった本人は、もしかしたらその時点で覚悟ができているのかもしれません。
しかし、残される者はなかなか覚悟ができるものではありません。
周囲の助けを得られないまま、朽ちていく命に尽くし、励まし続けるのは
容易なことではなく、時として病人以上に消耗するものです。
だからこそ、「毎日どんなふうに病気と向き合っているのかを知ってもらいたい」と
シャッターを切り続けたアンジェロの想いに共感したのでした。
私は祖母の最期の言葉を聞くことができませんでしたが、
あの日、きっと祖母が「アンジェロとジェニファーのことをやるべきだ」と
言ってくれたのだと思い、不思議な縁を感じています。
(編集部/イシダ)