
身近な人が(とても大切な人が)、病を患い、余命を宣告され、
それにより自分は自死をしたいと言ってきたら、どうするでしょうか。
そして、自分の命がもう長くなく、このまま進行性の病に苦しみ続けるとわかっていたら、
生きる希望を持ち続けることを、正しいと思えるでしょうか。
スイスでは、回復の見込みがない病におかされている人が、自殺ほう助を受けて命を絶つこと、そして、自殺を手伝う(ほう助する)ことが法律で認められています。そして、DAYS JAPANの11月号では、この「システム」を使い、命を絶ったMというイタリア人男性の最期の48時間を紹介しています。
Mは、医師から、自分は進行性の病であり、治る見込みはなく、いずれ植物人間になると告げられます。そして、スイスで命を絶つことを心に決めます。
しかしもちろん、自殺ほう助を受けることは簡単ではなく、いくつものとてつもなく高いハードルをクリアしなければなりません。例えば、ほう助を受けるためには、「自殺を認める」という医師の診断書が複数必要ですが、一方で医師には、自殺志願者に自殺を思いとどませる「義務」があります。
弱っていく体力の中で、Mがすべての条件をクリアしたのは、自殺を決めてから3年後のことでした。命を絶つことができるとわかったMは、すぐに、電車と汽車を乗り継ぎ、スイスに向かいます。
Mは、最期のときを、フォトジャーナリストのセルジオ・レマツォッティさんに同席してほしいと言いました。ホテルでの打ち合わせ、契約書の締結、実行のとき……。写真は、そのときの様子を淡々と追っていきます。セルジオさんは、Mが、「世の中に伝えてほしい」と願ったことも、伝えてくださっています。
撮影をされたフォトジャーナリストのセルジオ・レマツォッティさんは、Mというひとりの人間が、病気を患い、自殺を決め、順を追って基準を満たし、自らの意思で命を絶った、ということに否定をしていません。
それは、基本的にはMの権利なのではないか、という考えについて、みなさんはどうお考えになりますか?
日本では、自殺幇助についての議論はあまりなく、自殺(自死)についても、数や過労、孤独などの問題は取り上げられますが、死を宣告された人たちの自殺の意思については、まだまだ議論があまりされていないように思います。とはいえ、どこか遠い国の話ではなく、もしかすると、近い将来に、日本でもこのようなことが議論されたり問題になったりするかもしれません。
命を絶つこと、それを認めるか認めないかということ、
スイスのほう助システムのこと、Mの決断について、
考えるきっかけになっていただければと思います。
(編集部/丸井)