事故後チェルノブイリでの取材を重ね、子どもたちの置かれた状況を見かねた広河隆一は1991年にチェルノブイリ子ども基金を設立し、被災地への支援を始めました。当時、チェルノブイリの子どもたちの健康への関心はあまり高くなかったと思いますが、昨日放送されたETV特集をご覧になってもわかるとおり、決して楽観視はできない状況になっています。
DAYS JAPAN 4月号特集【チェルノブイリ読本】では、広河がスライド講演をする際に、事故当時からの取材を「身近に平易に理解しやすく」するためにまとめたものを中心に掲載しています。その一部をご紹介します。
1.人びとが消えた村
チェルノブイリ原発から南約4キロに位置するプリピャチ。
放射線医学関係者が「安全」を繰り返す中、最終的な避難の決定は
「この町に5万人が居住し、1万7千人の子どもが住んでいる」
という住民代表の発言だった。
現在のこの町の線量は、3〜4マイクロシーベルト/時。
(1996年)
7.食品の汚染
事故から15年が経っていた当時も行なわれていた牛乳の汚染検査。
この機械では、セシウムは検査できるが、プルトニウムやストロンチウム
は検査できない。測定していた技師は
「これで安全だという確信は自分たちには持てない」と話した。
8.低線量汚染地帯の被害の調査
比較的汚染値の低い地域の健康被害や、植物への影響を調べる研究者。
低線量であっても、長期間にわたる被曝により、
植物にはさまざまな異常が見られた。
異常は細胞分裂が活発なとき(人間なら乳幼児)に起こりやすいという。
1986年の原発事故の後、どんなことが起きたのか、33枚の写真とエピソードが真実を語るのが4月号【チェルノブイリ読本】です。今、知っておくことがどんなに大切なことなのか、DAYS読者の皆さまには言うまでもないことでしょう。だからこそ、ぜひ、皆さまの身近な方、知っておくべき方にお伝えください。
* ETV特集【チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告 第2回 ウクライナは訴える】は昨年9月23日に放映されたもののアンコール放送。番組は2013年3月31日(日)午前0時50分※土曜日深夜にも再放送されます。
どうぞ宜しくお願い致します。
営業部
佐藤典子