2003年当時、世界中でイラク戦争に反対する数万人単位のデモが繰り返し行われました。ここ日本でも、自衛隊イラク派遣に反対するデモ参加者は回を追うごとに膨れ上がっていき、開戦直前の3月8日には、何万人もが日比谷公園を埋めつくすまでになりました。普通の人たちが、ただ平和を願って集まった、あの日の光景を私は決して忘れません。しかし、それほどの大規模なデモも、日本の大手メディアには殆ど黙殺されたのでした。
開戦後、イラクでの惨状を目の当たりにしていた広河は、事実をありのままに伝えるメディアが無いことに危機感を覚え、周りの反対を押し切ってDAYS JAPAN の創刊に踏み切りました。その原点ともいえる取材が、今月号4月号の特集となって掲載されています。
【特集 イラク戦争から10年】
「対テロ戦争」という名の下行われたイラク侵攻から10年。
米軍を支持し、戦地に自衛隊を派遣した日本は、
大量破壊兵器保有という爆撃の大義に参加した。
開戦直後の2003年3〜4月だけでイラク市民の犠牲者
は、7414人になった(イラク・ボディ・カウントの統計)。
イラク戦争開始前・戦争中と2度現地を取材した広河が、
開戦2か月前に米英軍による爆撃の跡と被害を検証した。
一部しか報道されていなかった実情が、今明らかにされる。
写真・インタビュー/広河隆一
Photo & Interview by Ryuichi HIROKAWA
3月22日午前11時、家の梯子の下にイギリス軍の放った爆弾が直撃し、
5人が死にました。爆撃があった時、このあたりにイラクの兵隊がい
たとは思えません。
アサード・ジュバリ バスラ
4月5日の朝5時頃、連合軍が私の家を爆撃し、家族7人が亡くなり、
3人が負傷しました。私は早朝に義父と仕事に出たため助かりました。
彼らは謝罪に来て、「すみません」とだけ言いました。
冗談じゃない。爆弾を落とした英国軍のパイロットを訴えたいです。
彼らは、政府ができて安定するまで補償はできないと言っています。
アリ・アブドラヒド バスラ
私の息子は、クラスター爆弾で後頭部、背中、臀部にかけて負傷し、
全身麻痺になりました。私自身も負傷しました。
爆撃があったのは、3月22日の早朝のことです。私たちは、自宅にいました。
なぜ、民間人にクラスター爆弾を使用したのかはわかりません。
負傷する前の息子は、とても活発で、宗教心が強く、学校が大好きでした。
成績も優秀で、中学校では2番でした。
バシムの父 バスラ
全57人への貴重なインタビューから、当時のイラクの真実が伝わってきます。
平凡な日常生活が、突如破壊され、うろたえ、悲しむ、普通の人々の声の中に、
この戦争が何だったのか、その答えが見えてくるのではないでしょうか。
営業部
佐藤典子
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