今回迎えた第一次グループは2週間滞在する未就学児30人と母親20人。第2次は7月26日から2週間、3次は8月20日からというふうに、次々と子どもたちが来ては、交代で保養する。チェルノブイリ被災地の子どもたちを受け入れてきた保養センター「希望21で見てきた光景が、この島で繰り広げられる。
しかし工事はまだ残っているし、一番問題なのは人材難で、そのため私は今ここで宿直要員となっている。そして毎晩次々起こる夜泣きに起こされた。母親たちに周りの人に気配りをしなくていいような防音の部屋を用意できないのは申し訳ないが、毎朝日が昇ると私はぼろぼろになっている。
2日目の朝、子どもたちと母親は(株)アウレオから提供されたマリンブルーのミニバス(宮崎駿さんが作ってくださったシンボルマーク付)に乗って、人気のない静かな浜辺へ向かった。私は頭がぼおっとしたまま、東京のDAYS編集部からの、原稿校正のメールや電話にうつろな返答をしている。保養センター運営は、相当な覚悟が必要な仕事である。しかし本当に幸運なことに、「沖縄・球美の里」では、久米島の女性たち3人が、調理などの協力をしてくれている。7月8日には設立記念の催しに石井竜也さんが駆けつけてくださった。久米島の子どもたちの三線の演奏や踊り、中高生の吹奏楽も加わり、数百席の会場は満員になった。(広河)