2012年07月14日

南相馬署および、情報を知る権利のある人々への公開の手紙

南相馬署および、情報を知る権利のある人々への公開の手紙 

私は6月1日に警戒区域に入ったという「罪」で、南相馬署に任意の再出頭を求められています。確かに私はその日、地元の人の御好意で、警戒区域に入りました。私はそれが悪いことだとは思っていません。しかし法に違反したことは認めています。

私はこれまでのジャーナリストとしての経験から、立ち入りが禁止されているところでは、人々に知られてはまずいことが行われている可能性があると感じる習慣がついています。

だからこそ私たちは、そうした禁止された場所にこそ立ち入って調べなければならないし、何もなければそのことを伝え、万が一何かが隠されていたら、それを人々に知らせなければならないという義務を負っています。
それが私たちジャーナリストの仕事です。

しかし世界中の占領地でも核の被災地でも、「危険だから」という理由でジャーナリストの立ち入りが禁止されることが多いのです。その結果情報が人々にもたらされず、住民の健康上、生命上、財産上の危険が進行します。そのことは今回の原発事故で私たちはいやというほど思い知りました。

政府・当局は、「安全だ」と宣伝しました。そのため「危険だ」と警告するジャーナリストを現場から遠ざけなければなりませんでした。その結果、被害は進行中です。だからこそ私たちジャーナリストは、警戒区域にしろその他の区域にしろ、実情を調べて報道する役割を担っているのです。

ジャーナリズムが機能しなくなったとき、最も大きな災害が広がります。私たちは人々の知る権利に基づいて取材を行います。ところが多くの場合、情報の隠匿は、そうした事態を招いた責任ある者の手で行われます。責任を問われるものが国家である場合は、法律を味方につけて、隠匿が行なわれます。

こうした場合、立ち入り許可が、ジャーナリストに出されはしません。事故が発生した時から、多くのことが隠され、事実にちかづくことは禁止され、政府の安全宣言はまかり通り、一時はメディアをまきこみ、人々は何も知らされない状態に置かれました。

そして今も大変な放射能の汚染地域に、子どもたちは住まわされています。
 人々、特に子どもたちの命を守るためにこそ法律はあるはずです。そのために人々は真実を知る必要があります。ジャーナリストの仕事が今ほど大切な時期はありません。
 
法律がジャーナリストの活動を制限する場合、こうした法律を改めるための行動も大切ですが、時間は待ってくれません。
 だから特殊な状況の下では、法律よりも重要な倫理が先行させなければなりません。特に命や健康がかかっている場合はそうです。人々の知る権利も、法律よりも優先させなければならない場合があります。
子どもを危機に陥れる法律に対しては、時としてジャーナリストは、自らの責任を果たすために、破らざるを得ないことがあると、私は信じています。

私は警戒区域には何度か入りましたが、これを悔いていませんし、反省もしていません。私は今後も「知る権利の行使」のためには、何度でも法律は破ります。
人びとが子どもを守ること権利を、誰が奪う事が出来るでしょうか。人々が事実を知る権利を、誰が奪えるでしょうか。

私は警察の仕事を軽んじているわけではありません。
 法律を市民に守らせることを仕事とする警察にとっては、私の行為は見過ごすことはできないでしょう。それは理解できます。6月1日に立ち入り許可をもっている人の御好意で私が他の人と警戒区域に入った後、検問所で2回と南相馬署で1回、長時間の事情聴取を受けました。
それには協力したつもりです。私は許可証を持たずに警戒地域に入ったことを認めました。それを隠すつもりはありません。法律に基づく罰を与えるなら与えるがいいでしょう。それでも私は、立ち入りを禁止する法律を今後破らないとは約束いたしません。それはジャーナリストの仕事を放棄することになるからです。そしてそれは子どもを守ることを放棄することにもつながるからです。

2012年7月14日
フォトジャーナリスト
月刊報道誌 DAYS JAPAN編集長
広河隆一
posted by デイズジャパン at 16:03| Comment(0) | 編集長便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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