先日DAYSの株主総会(といっても少人数だが)があり、現状報告とこれからのことを話し合った。昨年末から今年はじめにかけて「DAYS存続キャンペーン」が成果を上げ、本誌は廃刊を免かれた。これはDAYSを支えようという皆さんのおかげである。しかしそれ以外にDAYSの自助努力が大きな成果を出しているわけではない。この時代に「これは絶対に必要な雑誌だ」と思っていただける雑誌には成長していないことを痛感している。さらにこのところ私が特集を執筆する号が多い(3月号の「普天間基地」、4月号の「ユダヤ人の起源」、そして今回の「アフリカ難民と私たち」)。これではどんどん私の個人雑誌になる危険がある。広がりと深さが足りなくなる。
新しいDAYSを担う人材を募集したが、応募者は2人だけだった。その人々の提案については、またホームページで報告する。現在のDAYSが書店で余り伸びていないのを、自助努力が足りないといわれても仕方がない。すべて雑誌業界の危機のせいにするわけにはいかないのだ。今私は、老いた母親の介護用のベッドの横で、この編集後記を書いている。身近な命の問題も、世界の命の問題も、同じ重さで感じることの必要をかみ締めながら。(広河)
深く頷きました。いつもいつも、広河さんの言葉から、勇気と真実の大切さを頂いています。
創刊号を読んで以来の読者です。
そうですね、『生きとし生けるものの命の重さは、皆一緒。ただし、「数」はある。』とは、私の写真の師匠が教えてくれた一言。
広河さんの言葉と重なりました。
悲しいニュースが舞い込んでくる度、思い出します。
そして、平和ボケしているこの日本で、世界のどこかで生じている歪みや叫び声を伝えてくれる貴誌は、とても貴重な存在です。
他人事ではなく、いつか、お手伝いできればと日々研鑽してますが、自分の生活もままならない今日この頃。
意気地無しの私には、まだ、カメラ片手に御社に駆け込むに至れません。
私の目標は、アフリカの現実を、悲しい側面だけでなく、そういった生活や政治局面の中にも、日々のつかの間の幸せも、平等に写し撮りたい。
それらを、現地の人々の視点で捉えて写真で世の中に伝える事です。
現地に住み、現地の言葉を覚え、生活を共にして日々を切り取れるための軍資金や機材、諸々を携えていくには、足りないものだらけです。
ですが、いつか、でもなるべく早くに向うに渡りたい。
そんな自分を、良い意味で焦らせてくれるのが、貴誌「DAYS」、です。
これからも、宜しくお願い致します。
例えば、電子書籍というものに形を変えてでも、続けて欲しい。