DAYSが創刊された直後に起きたのが、イラク人質事件だった。最初に3人が、続いて2人が拘束され、DAYS JAPANは2人のほうの救援事務所になった。あの時は、捕まった日本人たちがどの様な活動をしている人であるのかということを、現地に知らせることが、最大の救援運動になった。しかし現在のアフガニスタンの状況はより複雑になっている。常岡さんの仲間たちが救援運動をされておられるとのことだが、一刻も早い解放を願いたい。
チェルノブイリ子ども基金が発行している今年のカレンダーに掲載された女の子(ダリーナ、7歳)が、死んだという知らせが2日前に届いた。脳腫瘍だった。彼女の住む地域は、チェルノブイリの高濃度汚染地区から一歩外れていたため、強制避難の対象とはされず、人々が暮らすことが許された。ところがその人々は医療のケアから取り残され、早期発見の機会も奪われ、救援の手も届かなかった。しかし土地は「高濃度」ではないとはいえ、汚染されていることには変わりなく、そして彼らの牛は高濃度汚染地の草を食み、そこで採れた野菜は放射能を帯びていた。こうしてダリーナはチェルノブイリの事件が人々に忘れかけていたころに、発病し、息を引き取った。
私はこの号が出るころアフリカにいる。久しぶりの1か月間の長期取材で、コンゴとケニア、ソマリアの難民、そして内戦を撮影する。取材の感覚を取り戻せるか、心配だ。(広河)