6日朝に帰国します
牧村しのぶさんほか、多くの人がこの度の村上春樹のエルサレム賞受賞に対してアクションを起こされています。
私もこの時期に血ぬられたイスラエル首相の手から文学賞を受賞するなど信じられません。
政治の問題ではないと村上氏は言うかもしれませんが、受賞を受諾すること自体が極めて政治的な問題だということを彼はわかるべきです。
なぜならガザの事件は、人間の問題であり、人間の命の問題であり、このタイミングで加害者の手から賞をもらうことは、この問題にふたをすることに手を貸すことになるのです。それこそ加害者にとって最も望ましい「政治的解決」なのです。
http://blogs.dion.ne.jp/183/archives/8063170.html
村上氏のエルサレム賞受賞については、そのほかに次のような意見もあります。
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.htm
メッセージを出版社経由で届けるフォーマットです。
http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090130/1233279619#c
村上春樹氏への公開書簡
http://palestine-forum.org/doc/2009/0129.html
しかし彼のスピーチには感動しました。
壁と卵。
壁が分離壁のことを意味しているならイスラエル国家への批判ですよね。なおかつイスラエルの全部を悪として表象するのではなく、イスラエル国家というシステム、壁の中にもきちんと良心を持った卵が存在している。そして彼はいつどんな状況にあろうとも自分は卵の立場にあると断言している。こういうことを「壁と卵」の話で述べたのだと思います。彼のスピーチはイスラエル国家というシステムの中にいる卵たちの良心に呼びかけていたのだと思います。
最後の"You are the biggest reason why I am here."という言葉は、まさにこの事を表しているのではないでしょうか。
ダーウィッシュも、"I have never been a man of politics. I am a poet with a particular perspective on reality."という言葉を残していますよね。村上氏も作家として、同じ姿勢なのだと思います。
スピーチの内容や現地でのインタビューの様子を伝える報道を読んで、村上氏のパレスチナの現状に対する認識が甘いからこういう曖昧なスピーチになったんだ、という批判を持つ人が出てくるのはあり得るだろうと思いました。もしそう考えるのであれば、奥歯に物が挟まったような論評ではなく、すっぱり一刀両断で論評されたらどうだったのでしょうか。読者としても、そのような記事を読みたいと思うのですが。
記事の中で一つ理解できなかったのは、村上氏のスピーチについて、イスラエル政府を直接的に批判したかしなかったかの視点でのみ評価されている点です。
村上氏は、パレスチナの現状を前にして、小説家としての自分が発するメッセージはどうあるべきかを考え、スピーチの対象をイスラエル政府ではなく、イスラエルの国民一人ひとり(政治的に表現すれば、イスラエルの主権たるべき有権者の一人ひとり)に設定したのではないかと思います。
そして、どうすれば一人ひとりの心に有効に届くメッセージになるかを考え、否定から入るのではなく、国家ではなく個人の側に立つという自分のスタンスを述べることで、イスラエルの国民一人ひとりを、ガザで殺されたパレスチナの人々に結びつけ、個人の尊厳という視点ではイスラエル人もパレスチナ人も皆同じであり、それがいかにかけがえのないもので尊重しなければならないかということを訴えたのだと私は受け取りました。
パレスチナの問題に対するメッセージの発し方はいろいろあると思いますが、物語を通して個人の共感を得ていくことを生業とする小説家としては、嘘のない正直なものであったと思いますし、そうした視点に徹した村上氏の姿勢に私は賛同します。
その結果がどうだったのか、それは誰にもわかりません。斎藤さんも記事の中で「それで?パレスチナの人々は?何かいいことがあったのかなあ。」と述べられていますが、それは誰にも分からないことです。
しかし少なくとも私は、国家という機構が侵す過ちに対して、個人の視点から確固としたNOを示したスピーチの内容が多くの人の心に届き、現地で何らかのアクションになって現われてくることを願ってやみません。