原文:http://www.maannews.net/en/index.php?opr=ShowDetails&ID=35083
2009年1月18日 14時52分
ガザ-マアアン
治療も受けていない15歳のアミーラの傷口から、2日間出血し続けていた。アパートに父親と2人の弟の死体を残し、彼女は自宅から逃げてきたのだった。
建物の中に隠れていた2日間、手おけ一杯の水があっただけで、毛布も救急箱もなかった。アミーラが逃げ込んだのは、マアアンのジャーナリスト、エマード・エイドの家だった。
エマードは、家族を、ガザ市内の比較的安全な地域に逃がしていた。そしてイスラエルの戦車がテル・アル・ハーワから撤退した時、被害の実態を確認しようと自宅に帰ったのだった。すると、食料も水も寝具もない空っぽの家の中で、アミーラが血を流していた。
<エマード・エイド>
「どうやって爆弾から自分の身を守ったの? 怪我してたった1人で二日間も隠れている時、戦車の音を聞いてどうしていたの?」とアミーラに聞いた。
しかし彼女は答えられない。アミーラにはその余力も勇気もないのだ。生き残る勇気だけはあったのだが。医療チームが診た時には、アミーラには5袋分の血液しか残っていなかったのだ。
父親と2人の弟が目の前でどのように死んだか覚えているかなんて聞けない。
母親は、家族が皆死んでいると思っていた。その母親に抱かれて喜びにあふれ、祝福されているというのに、死者のことなど聞けるものか。
医師たちは、私に話した。小さな女の子にとって、たった5ユニットしか血がなくなってしまうということはどういうことかを。彼女は生と死のはざまにいたのだと。アミーラに、どこから生きる力を得たのか聞いてみたい。
15年しかまだ生きていないのに、死に、爆弾に、戦車の轟音に立ち向かう勇気を持たなければならないなんて、アミーラ。
母の寝台の上にいるアミーラを見つけたとき、彼女は「許可なくあなたの家に入ってしまってごめんなさい」と私に言った。血まみれで、頬には涙の流れた跡があった。詫びの言葉などどうやって口にできたのだろうか。
私は家族と共にその地区を離れたのだった。家の前を戦車が通るところを見たり、窓に銃身が向けられることを恐がったりしてほしくなかったのだ。だがアミーラはそれらを見たのである。私が見つけたときアミーラは眠っていた。もしくは、医師たちが言ったように、生と死の狭間をさまよっていた。私が起こすと、アミーラはこう言った。「叔父さん、どうやってあなたの家に入ったのか覚えていないの」と。「彼らは目の前で父と弟たちを殺してから私に爆弾を投げたので、足を怪我しました。そこから走って逃げたのですが、また爆弾を投げてきました。当たりませんでした。それから、あなたの家の扉が開いていたので入り、あたりの音を聞きながら一人でベッドの上にいました。聞かれるかもしれなかったので、怪我のことで叫んだり、泣いたりはできませんでした」
アミーラは破壊された自宅から逃げた。神が彼女に与えた命を求めて逃げた。
アミーラの残された家族は、家が爆撃されたとき父親で42歳のファーティ、それに弟のエスマット12歳、アラ11歳と一緒に彼女も死んだと思っていた。家族は、自分たちがアミーラの体の破片だと思ったものを埋葬していた。
私たちがアミーラをアシュ・シファー病院に急いで運んだ前日に、アミーラの母親はファーティとエスマット、アラを埋葬したのだ。彼女はアミーラがまだ瓦礫の下敷きになっていると思った。
話を聞いてアミーラの母親は病院に駆けつけた。たくさんの涙を流した。アミーラの叔父たちは神を称え、アミーラの命を救った奇跡について感謝した。
(訳:青柳泉)
文字も大きくしていただけたら助かります。
表示はしないでくださいね。
お願いします。