1月8日(木)文京シビックホール小ホールで開催されました。
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/109857309.html
370人定員の会場がみごと「超満員」となり、「ガザを何とかしたい!」という熱い想いが溢れんばかりに集結しました。
19時開演後、すぐに美しい音楽で上映(序章)が始まりました。
打楽器と、オルゴールのような音色にあわせて流れる映像や言葉は、
ゆっくりと、しかし深く深く語りかけてくるものがありました。
テレビのブラウン管の中で見ていたものが、確実に心を突き抜け、熱い想いを呼び起こす77分となりました。
休憩時間では、予想以上の来場者のため、急きょ可動椅子を設置しました。
第2部のスピーチでは、森澤典子さん、元東京大学名誉教授の板垣雄三さん、池田香代子さん、広河隆一がリレーのたすきを渡すように、それぞれの想いを順番に届けていきました。
事前準備から当日の運営は、ボランティアの方に大きく支えられました。
最後のエンディングロールの長さも、今まで見たことがない膨大な長さで、
この大事業を完成させる上で、どれほど多くの方々の手がかけられたか、圧巻でした。
人々の想いが後押しし、形になっていく。
それがある限り、無限の可能性を信じていきたいと思いました。
板垣さん、森沢さん、池田さん、広河監督の発言要旨は、近日中にブログにアップします。
失礼します。
完成報告・試写会に参加した者です。
池田さんもおっしゃっていましたが、本当に凄いものが完成し、自分達は今それを眼前に見ているのかと、信じられられない気持ちになりました。広河さんの、この言葉では表し切れる筈もない労力は、この混沌の世界を射る光です。
でも、一方で今回コメントするに至った、「見逃せない」ことが、あの会場の片隅で、僕の頭にこびりつきました。
〜「ガザを何とかしたい!」という熱い想い〜とは、本当なのでしょうか。
僕の隣に座っていた方は、終始まるで「知的好奇心」を満たすために来ている様な発言・態度を見せていました。そしてそのせいもあるのかもしれませんが、出口辺りで行われていた署名や物販の往来が、なんだかバーゲンセールに群がる人々のように、僕の目には映りました。
決して、あの場に居た全ての人がそうだったとは言いません。会自体も素晴らしいものでした。でも、今この瞬間も、小石を蹴散らすように人が死んでいっているのに、それに相応のものであったのか。僕の頭の中で、そんな思いが渦を巻いています。
「いのち」ってなんなんでしょうか。
DAYS JAPANを僕は、世の不正、光の当たらないものたちを照らす雑誌であると同時に、ものの「いのち」を大切にする雑誌であると思っています。例えば、最新号の四川省のページ。瓦礫の中、やつれた、暗い表情の女の子が映っていました。そして、次のページを見ると、そこには同じ女の子がこれ以上ないというような満面の笑みでこちらを見返してくれる。その次のページにも、両足を失った絶望の写真と共に、同じ女の子が後に義足を付け、少し希望を見出したような表情が載っている。僕は、それらを見たとき、とてもこらえることができませんでした。
どんなに絶望の中に居ようと、人はそこから這い上がり、笑うことができる。そこに僕は、強さや輝きであったり様々ですが、「いのち」というものの素晴らしさを感じます。簡単に、「死者900人」なんて数字で表したり、品質のために農薬という「毒薬」を散布する世の中。DAYSは僕にとって、「いのち」の大切さを教えてくれる雑誌です。
でも、です。
あの会の中、「いのち」ってなんなんだろう。僕はそんなことを感じたんです。
このコメントは消去してくださっても構いません。ただ、こんな意見もある、それを知っていただけるだけで十分です。
そして、繰り返しますが、NAKBAアーカイブス、最高の代物です。これで世の中は変わると信じています。僕も、色々な形でこの世に参加していきます。DAYSも応援してます。
1月10日、11日とデモに参加しました。「NAKBA」もアーカイブス版をぜひあらためて見てみたいと思います。
11日イベントで、この問題と日本メディアの関係について、受け手の私たちの感受性やイメージの問題も含めてさらに発言しました。
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20090113
> 出口辺りで行われていた署名や物販の往来が、なんだか
> バーゲンセールに群がる人々のように、僕の目には映りました。
> 決して、あの場に居た全ての人がそうだったとは言いません。
> 会自体も素晴らしいものでした。でも、今この瞬間も、小石を
> 蹴散らすように人が死んでいっているのに、それに相応のもの
> であったのか。僕の頭の中で、そんな思いが渦を巻いています。
このような意見、お気持ちはなんとなく分からないでもないですが、
DAYS JAPAN という雑誌を評価されているのでしたら、
その雑誌を手にとることができている理由をお考えになられたことは
ありますか?
あくまでも、広河さんやその他、雑誌の編集に携わるすべての方々が
生きていくだけの糧を得られない限り、雑誌の編集は継続できず、
これ以上の出版は不可能となって、あなたの手元へも雑誌は届かなく
なります。
ビジネスを単に金儲け主義とか、偽善的なことのように捉えるのは
それは、少し違います。
「学生」さんも、これから社会に入って、自分の足で立って生きていく
ことがどういうことかわかれば、そういったことも普通に理解できるように
なると思うのですが、また、ご自分の意見として「こういった意見もある」
という以外に、ご自身では、一体社会に対して、何ができていますか?
と思わず逆に問いかけたくなってしまいます。
意見を言うのは簡単です。
ただ、NAKBAをつくったスタッフのすべて、DAYS JAPAN の運営にかかわる
スタッフのみなさん、それぞれが、ほとんど自分たちご自身の儲けなど、
度外視して、雑誌はとにかく継続するため、NAKBAはとにかく1人でも多くの
人に見てもらうため、いろんなものを犠牲にして、携われていることを
わたしは、単なる一読者、一視聴者にすぎませんが、きちんと想像力を働か
せて見ていれば、そういった、みなさんの状況は理解できるはずです。
> 出口辺りで行われていた署名や物販の往来が、なんだか
> バーゲンセールに群がる人々のように、僕の目には映りました。
どちらにしても、とても大切な感覚の持ち主で、私は尊敬します。
今、都合でアメリカに来て以来、1週間たちました。ガザのことをまともに伝えるニュースは皆無に等しく、不況不況と騒いでいる割に、人々は、まさに洋服のバーゲンセールに群がり、床には新品の商品が散らかり、食品売り場でも、セール品を探しもとめ、有り余るほどの食べ物をカートに押し込め、ゴミを蹴散らし、大きな車を走らせています。(もちろんこれだけがアメリカの全てとは言いません。探せばいい面もあります。)同じ世界で悲惨な状況が起きていると想像している人がいるとは思えません。私が会ったこちらで暮らす日本人の人々も同じような感じです。いかに自分達が快適に暮らすか、には長けています。
はっきり言えることは、DAYSのイベントに足を運び、DAYSを買うために右往左往している人々と、今書いたような人々とは、見ているもの、感じていること、頭に渦巻いていること、が違うだろう、ということです。
私からすれば、DAYSの前に群がる人々をこそ、目にしたいものです。1歳の娘を連れ、ここの街を歩いていると、人々の心はどこに向いているのだろう、この地球はどうなるのだろう、と不安になります。でも、地球上で起きている惨事に少しでもアンテナを向けている人がいるということがせめてもの救いです。DAYSの存続のためにも必要なことです。「学生」さんの頭の中に渦巻く思いと、私や、ここを訪れる人々の頭の中に渦巻く思い、重なる部分もあると思いたいです。いかがでしょうか。
>どちらにしても、とても大切な感覚の持ち主で、私は尊敬します。
→どちらの方も、とても大切な感覚の持ち主で、私はお二人とも尊敬します。