2008年12月30日

ガザ空爆(ハアレツ紙)

2008年12月29日付ハアレツ紙オンライン版に掲載されていた記事を自己流で訳し、BCCでお送りしています。機構名の誤訳その他、ご容赦下さい。(訳:青柳 泉)

アミラ・ハス「ガザ攻撃はハマスに対するものではなく、すべてのパレスチナ人に対するものだ」
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1050688.html


日曜日の午後3時19分、飛んでくるミサイルの音が電話越しに聞き取れる。ほらまた、子どもたちが恐がって泣く声とともに。ガザ・シティのテル・アル・ハワ区では背の高いアパートがびっしり並んで立っている。その一つ一つの中に数十人、ひとつのブロックにつき数百人の、子どもたちが住んでいる。

父親Bは隣人の家から煙があがっていると私に告げて、電話を切る。1時間後に、彼は言う。2つのアパートが攻撃された、と。一つはもぬけの殻で、誰が住んでいるのか彼にはわからない。もう一つの、犠牲者が出た方は、ロケットの発射をしているグループのメンバーのものだが、別に格が上だったり、重要な人物だったりしたわけではない。

日曜の正午、イスラエル空軍はガザの国内安全保安局の建物を空爆した。その中にはガザ・シティで一番大きな監獄がある。囚人3人が殺された。うち2人はファタハのメンバーだという。3人目はイスラエルとの協力で有罪とされていた。ハマスはガザ地区の他の監獄のほとんどから囚人を移送していたのだが、ここの監獄は安全だと思ったのだ。

日曜日の午前0時、Sは電話の音で起こされた。「でもいずれにせよ眠ってはいなかったんだ」「受話器を取ったら、アラビア語で録音されたアナウンスが聞こえたんだ。『これは警告だ。武器や弾薬を持っている者がいる家は、すべて空爆する』」

彼の近所のある家で、家族3人が殺された。全員が20代の若い男性だった。武器や弾薬を持つものは誰もいなかった。通りすぎる車をイスラエル空軍が爆撃した時に、道を歩いていただけなのだ。また別の隣人は、16歳の娘を亡くした。娘の姉(妹)は重傷を負った。イスラエル空軍はパレスチナ自治政府の予防警備部隊が以前入っていた建物を空爆したが、それは彼女たちの学校の隣だったのだ。

Sはガザ・シティの警察本部のそばで働いている友人を訪ねたときに、土曜の空爆の引きおこしたものの一部を見た。攻撃で殺された1人は、元ハマス幹部イズマイル・アブ・シュナブの長男にあたるハッサン・アブ・シュナブだった。

イスラエルが5年前に暗殺した父親の方は、2国家解決案を支持する発言をした最初のハマスの政治家の一人だった。ハッサンは地元の大学の事務員として働き、趣味として警察音楽隊で弾いていた。土曜に爆弾が投下されたとき、警察の卒業式で演奏しているところだった。

ハマスに反対するSは、こう言った。「ここで70人の警察官が殺された。皆がハマスのメンバーなわけじゃない。」「だいたいハマスを支持した奴らだって、仕事を、賃金を、求めていた若者たちなんだ。彼らは生きたかったんだ。そしてそれだから彼らは死んだ。一気に70人がね。この攻撃はハマスに対するものじゃない。俺たち全員、国のすべてに対するものだ。自分たちの民族と国家がこんなふうに破壊されることを許すパレスチナ人はいない」


posted by デイズジャパン at 01:56| Comment(0) | ガザ空爆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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