プレシンポジウム
早稲田大学・DAYS JAPAN 共催フォトジャーナリズム・フェスティバル
プレ・シンポジウム「戦争・写真 そしてメディアの危機」

2008年12月29日

ガザは燃えている!そしてそれは予期されていたことだ!

CCIPPPコーディネーター、ナフラ・シャハル

ガザに行なわれている犯罪の規模によって、あたかもショックを受けたかのように振る舞うのは止めよう。この攻撃は、忍耐強く準備され、以前から告知されていたのだ。イスラエル政界は、そのことをエスカレートし先を争って、公言していたのだ。国連の責任者たちすべては、空爆以前に、すでに絶えきれない事態であったガザの状況に警告を発していたのだ。前日、食糧品などを積んだトラックを、ほら、とばかりに通らせたのは、現在行なわれている軍事攻撃の準備段階だったのだ。すなわち、注意をそらせ、ある人たちにとっては、うその沈静化のサインを発したようにみられ、他の人たちにとっては、空爆下の町で最低限の行政運営をするための不可欠な物資を送り届け、病院の発電機を動かし、救急車が動き回るための燃料を少し与えたのだ。

もし、ガザで行なわれていることが、ジェノサイドでないなら、一体何なのか? それはもっとひどいことなのではないか。ツジピ・リヴィニ〔イスラエル外相〕は、ほぼ1ヶ月前に、ブラッセルで、ガザの包囲は、「不幸にも」と付け加えながら、ハマスの首を絞めるのは、必要なことだと表明したのだ。サダム・フセイン政権を打倒する目的が、貿易封鎖によって、百万人の子供たちの死に値するとしたらどう思うか(インタヴューの時点では百万に過ぎなかったが)と聞いたのに対して、「不幸にも」それは不可欠だ、と言い放ったマドレーヌ・オルブライトが、彼女の任期中に言明したことと全く同じなのだ。二人とも同じ源から汲みとっている。サムエル・ハンチントンの有名な言葉によれば、「魚が泳いでいるところの水を抜く」のだ。水は、人民でしかなく、『文明の衝突』の著者にとっては、ヴェトナム人であり、アメリカの大臣にとっては、イラク人であり、イスラエルの大臣にとっては、パレスチナ人だ。しかし、それでもパレスチナについて相違する点、つまり、これは、すでに60年も続いていることで、単なる勝ち負けを云々する植民地主義なのではなく、殺戮=皆殺しなのだ。

ガザの犯罪は、このひどい土曜日に始まったわけではなく、ガザの包囲が始まってから、和平プロセスの欺瞞的なコメディーカルテット、アンナポリスなど、他の諸々)が受入れられてからなのだ。ところが、すべてのひとは、アラブ世界の現政権たちが、和平の道を追求するのを奨励するために、イスラエルとの公式な/現実的な関係を保ったときからなのだし、そして、欧州連合が、イスラエルとの協力を一層、強化してからだということを、的確に知っているのだ。

しかし、時は、分析やレトリックのときではない。ガザで流されている血は、私たちに、尊厳を要求する。全世界の男たち、女たちは、意識の飛躍をすることができるのか、あるいは、もはや遅すぎるのか、ということなのだ。それはガザやパレスチナのためではなく、己自身のためである。彼ら、彼女らは、奴隷になりえるのだ!
このような犯罪を前にして、抗議し、怒りをぶちまけること、そしてイスラエルをボイコットすること。パレスチナ保護のために国際部隊を要求すること。占領の隠れ蓑となっているイスラエル自治政府の辞職を要求すること。そして、イスラエルを罰すること、行なわれた戦争犯罪を定義し、国際司法裁判所の前に、責任者を引きずり出すことだ。

(訳:青柳 泉)
posted by デイズジャパン at 22:40| Comment(0) | ガザ空爆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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