2012年11月15日

1982 嘆きのベイルート【パレスチナ難民キャンプの虐殺事件から30年】

1982年9月16日、レバノンの首都ベイルートにあるサブラ・シャティーラ難民キャンプは、イスラエル軍によって包囲され、レバノン右派民兵による難民の虐殺が3日間にわたって行われた。そして、18日、ジャーナリストとして最も早い段階でキャンプに入った広河隆一が目にしたのは・・・・。(DAYS JAPAN 11月号リード文より)

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DAYS JAPAN 11月号特集 広河隆一 写真/文
1982 嘆きのベイルート【パレスチナ難民キャンプの虐殺事件から30年】


ここに掲載されている写真は、広河が今まで撮影した中でも、最もよく知られた代表作といえる写真ばかり。その迫力と鮮烈さに、一目で何が起きていたのかがわかり、それ以上言葉はいらないと思うかもしれません。しかし言葉が、そこに実際にいた人からであれば、ぜひ耳を傾けるべきです。

DAYS JAPAN 11月号の特集では、1982年のベイルートで虐殺の直後を目の当たりにした編集長 広河隆一が当時の状況について、自ら詳しく語っています。

【正直なところ私は、目の前の難民キャンプに入っていきたくなかった。10分前、別な道から足を踏み入れたとたんに、道路に横たわる死体を見た。驚いてキャンプから出た所で、近くに砲弾が撃ち込まれ、私はしばらく呆然としていた】

【ある講演会で、死が迫った時には何を考えるのか、と質問されたことがある。私は、自分の心の中から「生きたい」という気持ちを消していくと答えた】

【昼ごろ、難民キャンプに動きが出た。国際赤十字が入ってきて、これに続いて各国のジャーナリストが入ってきたのだ。・・・・大手メディアが入ってくるまでがフリーランスの仕事だ。私はキャンプを出た。出口を封鎖していたイスラエル戦車の上で、上半身裸の若い兵士が、ビーチパラソルをさして、読書をしていた姿が忘れられない。私はぐしゃぐしゃに泣きながら、キャンプを離れた】


私自身が【地球の上に生きる2012】で展示してきた写真の撮影された状況と、当時の広河の偽らざる心情を、今月号の記事ではじめて知りました。ぜひ、DAYS JAPAN 11月号特集
1982 嘆きのベイルート【パレスチナ難民キャンプの虐殺事件から30年】
をお読みください。

どうぞよろしくお願い致します。

営業部
佐藤典子
posted by デイズジャパン at 15:00| Comment(0) | 営業部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする